にがい離婚談

誰でも離婚はできるならしたくないですが…

私の再出発【2】

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「お母さんが考えるほど、良い家柄でもないように思う。。。それは本人同士の愛情があれば別にいいのだが、家柄の悪さや財産がないことを家族全員で隠しているという事が、気になってしょうがない。
お前のことを好いて結婚するのだろうか。
幸せにする気があるのだろうか。
ふさわしい嫁さんをもらうことだけというか。。。そういう体裁だけでお前を選んだ気がする。。。」

父の心配はそこにあったのですが「それじゃ私が体裁しか求められないような人間みたいじゃない!」と私は憤慨してしまいました。
愛されて結婚を望まれているわけではない惨めな女、私がそんなはずないのです。
「興信所か何かに頼むという手もあるのだぞ」と食い下がる父をなだめ、私は結婚に踏み切りました。
30才になる誕生日の一ヶ月前の6月に、幸せを信じて結婚しました。
父にその時に反対したその気持ちを確かめたいと思っても、父はもうこの世にいません。
父は全てを知り、案じていたのではないのでしょうか。

結婚する前に聞いていたご実家の内情は、全くと言っていいほど違っていました。
蔵の中にいっぱいあったはずの先祖から受け継がれたという品々は手前の目に留まるものだけで、あとはガラクタばかり。
財産というものも全く残されていませんでした。
私の主人と妹が遊興で食い散らかし、義父も今でこそ介護が必要な体調ですが女癖が悪かったようで貢いでは税さんを減らすことばかりしていたようです。
そのストレスとばかりは言えませんが、義母も自分の夫への恨みから遊びまわり、家には何も残っていません。
というか、財産らしいものは、田舎の大きな家と田んぼ、そして厄介な山ばかりなのです。
全部合わせても、1000万の価値もないでしょう。

それでもいいのです、愛されているのであれば。
母としては資産家の家に嫁がせたということは自慢の一つでしょうが、私にとっては「愛されている」ということが一番重要です。
しかし元主人は結婚してから豹変しました。
なにか気にくわないことがあると烈火のごとく怒り出すというか。。。とにかく人が変わってしまうのです。
さすがに私に手を上げることはありませんが、ものにヤツ当たっては暴れだすその姿が怖くてたまりませんでした。
それに結婚してからは、私は義父の介護ばかりをやらされたのです。
仕事の転勤でということで戻ってきたということを聞いていたのですが、実際のところは転属届けを自分で出し、実家に戻ってきたのだということを知りました。
父の介護と、自分自身が遊興で行き詰まったせいもあったのです。
義母にもお手伝いさんのように扱われました。
要するに、経済的に困窮したこの家は、使用人に暇を出さざる得なくなり、無償の労働力が必要になっていたのです。
私はお給料の管理もさせてもらっていませんでした。
ポンと渡される「今月の生活費」の中で、なんとかやりくりをしていましたが、実家の父が持たせてくれた貯金が私の生活を支えてくれました。
足りないものをそこから少しずつ切り崩していたのです。

Written by admin

11月 27th, 2012 at 12:01 pm

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